怒りの感情
湯を沸かしながら豆を挽き、同時にカップとホウロウ製のコーヒーポットを温めます。
粉のふくらみをキープして、湯を少しづつ注ぐ。あせらない。
コーヒー好きの友人に聞いた淹れ方。
コーヒーを淹れながら「怒りの感情」にどう対処すべきか、数日前友人と話した続きを考えていました。
怒りの感情は場合によって相当破壊的なものになるなぁ。どしたら良いんかなぁ。みたいな事。
その破壊力は、同時に自分に向けられているものだから始末が悪い。怒っている事でさらに怒ってしまう。
どこかそれを解ってやっているから、収拾後は自己嫌悪におちいって。
快適なものではない。出来るものなら持ちたくない。でも、抑えようにも湧いてしまったから気づいたわけで。
気配を捕まえていなすのは容易じゃないし。
怒りは爆弾の様なもので、無制限に爆発させれば関係がゼロになってしまいます。
それはだれでも知っている。だからほとんどの人は、怒りを無制限に爆発させません。
自分も怒ってしまった時、無意識に爆発のさせ方を制限している。(と思う)
言ってはいけない一言をぶつける自分を想像しながら、実際は「私は少しだけ違う意見を持っています」と言う。
その態度そのものが、「私はこの関係をゼロにしたくないです」っていうメッセージなのかも。
同時に自分を破壊しないための安全装置装置というか。
抑制された怒りの形で、言葉にしたくないけれど、どうしても伝えたい気持ちを伝えるのだとして。
それは原始的な、獣たちがする様なそういう方法なんだけれど、そうして伝えるべき気持ちというのがあるのだろう。と思えてきました。
コーヒーを飲みながらそんな事を考えていたけれど、じゃあ結局「怒りへの対処」はどうすんの?
との自問オチが付いただけだったのでした。